皆さんこんにちは。
私は新潟県燕市で福嚴寺という曹洞宗のお寺の副住職をしています。藤田祥典です。
本日はYouTube内で私が何回も口にしている「お釈迦様」という人ですが、実際に実在した人なのか、そのあたりを簡単ではありますが話していこうと思います。
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お釈迦様は今から約2500年前に北インドに実在した人物で仏教の開祖です。
本名はゴータマ・シッダールタといい、仏教では釈迦牟尼仏、釈迦牟尼如来などと言われています。
釈迦とはお釈迦様がお生まれになられたシャーキャ族という部族の名前を音写したもの、牟尼とは大変優れた方という意味です。またブッダとも言われますが、ブッダとはもともとインドの宗教一般において、すぐれた修行者や聖者に対する呼称であったが、仏教で用いられお釈迦様の尊称となったようです。
お釈迦様が誕生されるときの伝説があり母親の右脇から生まれ出て7歩あゆみ、右手を上に、左手を下に向けて、『天上天下唯我独尊』と言ったと伝えられています。特攻服によく書かれているイメージの方も多いと思いますが、これは自分だけが尊いという意味ではなくて、天にも地にも一人一人がみな尊い存在であるという意味です。しかし、これはのちに考えられた普通とは違う特別な方ということを強調するためだと思われます。
お釈迦様は王子様として生まれ何不自由のない暮らしをしていたのですが出家を志すきっかけを説明する伝説に、四門出遊(しもんしゅつゆう)の故事があります。お釈迦様が初めて住んでいた城から外出したとき、最初ある門から出たとき老人に会い、2回目に違う門から出たときは病人に会い、3回目また違う門から出たときは死者に会い、この身には老いも病も死もある、との避けられない苦しみを感じられました。4回目また違う門から出たときは一人のお坊さんに出会い、老いと病と死にとらわれない違った生き方を知り、出家の意志を持つようになったとされています。
お釈迦様は王族としての生活に飽き足らず、また人生の無常や苦を痛感し、ついに29歳で出家しました。ラーフラという息子が産まれて間もない頃、深夜にお釈迦様は城を抜け出します。
その後6年の間に様々な苦行を行ったのですが、極端な苦行も不適切であると悟ってシッダールタは苦行をやめました。
35歳のお釈迦様は、川で沐浴したあと、村娘のスジャータから動物の乳を搾った乳粥の布施を受け、体力を回復して菩提樹の下で坐禅を組んで瞑想に入り、12月8日の明け方悟りに達して仏陀となられました。
80歳で亡くなるまで教えを説いて各地を回られたと伝えられています。
ここで出てくるスジャータという名前ですがどこかで聞いたことありませんか?
そうです!あの乳製品などを主に取り扱っているスジャータという会社です!
コーヒーにいれるシロップや今では様々な商品を取り扱っているようですが、この社名にした理由として御社のホームページにも「スジャータ」とは修行中にお釈迦様に乳粥を差し上げたインドの娘さんの名前で、それを飲んだお釈迦様は疲労回復されたのち、悟りを開かれたといわれています。
と書かれていました。
まとめとして、お釈迦様は実在した人物であり、はじめは私たちと同じような人間であった。
それが修行を重ねて悟りを開いて仏陀となられた。
本日は以上です!
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